「イクメンですね!」「素敵なパパですね!」「すごく育児に協力的ですよね!」
良く言われます。
褒めていただけることは、素直にとても嬉しいです。
ありがとうございます。
でも私自身は、自分のことをイクメンだと思ってはいません。
素敵なパパでもないし、育児に協力しているわけでもありません。
だって子育てって、主には夫婦二人でやっていくものじゃないですか。
そこに実家の両親、兄弟姉妹、いろんな人たちが寄り添ってやっていくものじゃないですか。
イクメン、子育てに協力的。
そういう言葉に良いイメージが定着し、そんな男性は素敵と思われる日本社会。
ん〜、まだまだだなって感じます。
ちなみに10/19は『イクメンの日』らしいです。
10(父さん)19(育児)。
プププのプ。
子育ては夫婦が主に行うもの。
しかも夫の存在は、めちゃめちゃ重要だと感じるんです。
なんだかんだ言っても、子育ての主役は母親です。
おっぱいをあげることは、母親しかできません。
子どものちょっとした変化に気づくのも、何かあった時の咄嗟の対処も、母親には敵いません。
その母親(妻)を支える、最高のパートナーになる。
と言うか、妻をイライラさせない。
それが夫に課せられた大事な使命ですね。
例えば、子どもが夜泣きをしていとします。
産休中の妻は、必死に子どものをあやしておっぱいをあげています。
何日も続く夜泣きで、妻は憔悴しています。
そんな時、夫のみなさんはどうしていますかね。
もちろん妻の代わりに、おっぱいをあげることはできない。
何しろって、何もできることなんかないじゃんか。
明日も仕事なんだし。
妻は産休中だし、昼寝もできるし良いじゃないか。
ダメですよね、本当に。
妻は別に解決策を求めているわけじゃないんです。
ただ辛い気持ちに、寄り添って欲しいんです。
夜泣きで自分も起きたのなら、妻の背中を摩る、抱きしめる。
「ありがとうね」と言う、「辛いよね、終わったら僕が見てるから、ちょっと和室で寝てくるかい?」と言う。
何かする必要はないんですよ。
妻の気持ちに寄り添い、自分にできることをやる。
それが夫のできることだと思うんです。
夫(男性)って、わかりやすく結果を出す事が素晴らしいと思っています。
妻の代わりにご飯を作ること、洗濯物を取り込んで畳むこと、子どもと公園に遊びにいくこと。
これをやっておけば、なんて自分は育児に協力的な夫なんだろうと誤解します。
でも妻の気持ちに寄り添わず、自己満足で終わっている夫は、必ずしもイクメンとは言えません。
むしろ外っ面が良いだけで、妻には全然協力してくれないじゃん!って思われます。
実はこれ、かつての私がやっていた事です。
妻と子どものためにご飯を作り、洗濯物を取り込み(むしろ洗濯も私がやる)、子どもと公園に遊びに行く。
どうだ!私はこんなにも良い父親であり夫だろう!何の文句があるんだ!
と。
そんなの自己満足だったんです。
当時の自分が、何とも恥ずかしい。
男性は結果を提示することが、愛情表現だと信じて疑いません。
結果を提示している限り、自分は正しいと、自分は良いことをしている妄信します。
裏で妻がため息をついていることにも気づかずに。。。
今では猛勉強の末、自分なりの方法で妻に接している私。
でも時々、かつての私が顔を覗かせる事があります。
それは疲れている時、余裕がない時、イライラしている時。
特に寝坊なんかしちゃった時はダメですね。
朝の限られた時間、朝の禊をし、洗濯をし、ご飯を作って食べ、洗濯物を干して掃除をする。
これらのメインスタッフである私は、イライラしてこう思います。
『私がこんなに頑張ってるのに、どうしてトイレが長いんだ!スマホ見てるんだ!洗濯機終わっただろ!』
・・・・・
ごめんね、嫁ちゃん。
ちゃんとできるように頑張るね。
掃除も洗濯も、私が好きでやってるだけなのに。
本当のイクメンとは、何かをしてあげることじゃない。
妻の心に寄り添い、子どもを愛すること。
そのためにまず、自分自身の身体と心が健康であること。
となると、イクメンって言葉はちょっと違いますよね。
ヨリシン(寄る心)?愛家族?
ん〜、どうでも良いですね。
でも最近では、イクメンという言葉に違和感を覚える方は増えているようです。
良いですね良いですね。
今までの歴史で、男性は本当に育児に関われなかったんですから。
その過渡期として、イクメンという言葉は必要だったのかもしれません。
今はそこから脱却し、先へ進む時。
夫の皆さん、頑張りましょう。
勉強しましょう、身体と心を整えましょう。
自分自身をしっかり大事にし、妻を支え、子どもを愛す。
これが私の育児に対するモットーです。