早いもので、息子がもうすぐ2歳になろうとしています。
つい最近産まれたのに、つい最近歯が生えたのに、つい最近立ったのに・・・
本当に、子どもの成長はとんでもなく早いものです。
今までは背が伸びたり横が太くなったりと、外見的な成長が目立っていました。
しかし最近は、内面の成長が著しい。
まだ言葉と言えるものはほとんど喋らない。
それでもこちらの言うことは、ちゃんと理解してくれている。
先日、嫁ちゃんの実家にいく時の話。
『トラジロウとマサル取ってきて。』
と、嫁ちゃんが息子に言うんです。
ちなみにトラジロウとは、虎のキャラクターが付いている膝掛け。
マサルとは、バナナのぬいぐるみ。
ともに息子のお気に入りでして、寝具としても使っています。
そのトラジロウとマサルを、ベッドに行ってちゃんと取ってくるんですよ。
すごくないですか?
靴を履くときも「トンして」と言うとちゃんと座って靴を履かせられるのを待ちます。
ジュースが入っている小型の冷蔵庫の前に立ち、「じゅちゅ〜」とねだってきます。
ちょっと前まで交信不能の宇宙人だったのに、一丁前にコミュニケーションとってます。
素晴らしい。
しかし知恵がつくと言うことは、自我が芽生えると言うことです。
子どもは3〜4歳くらいまでは、世界は自分を中心に回っていると思っています。
食べ物を投げようが、ガラスを割ろうが、友達を叩こうが、一才の悪気はありません。
だって自分が中心なんだから、何をやってもOKと思っているわけです。
それを大人は、ワガママと言います。
そう決めつけることは良くない!子どもの自主性を大事にしないと!
ってな感じで、怒らないことが素晴らしい、親はグッと堪えて自由にさせる。
そんな子育てが素晴らしい、という風潮が少なからずありますね。
しかし、ワガママはワガママなんですよ。
食べ物投げる、ガラス割る、友達叩く、良いわけがない。
人間社会で生きていく限り、モラルは必要なわけです。
モラルを教えるのは、親なわけです。
ワガママ言ったら、注意する。
絶対ダメなことは、怒る。
これは必要なことなわけです。
どこを怒ってどこを許すかは、親の裁量次第ですね。
親それぞれに価値観が違うわけですから、ベストな怒り方等は無いわけです。
自分が絶対に許せないことに関しては、烈火の如く怒るべきなんです。
しかし決して自分の都合で怒っちゃいけない。
自分が疲れている時に、子どもがご飯を誤ってこぼした。
これで烈火の如く怒るのは、ちょっと違う気がしますね。
怒るべき時に怒れないのも、やはり良くない。
100%上手くできるわけはありません。
でも100%に近づけることはできます。
その方法とは、親が健全であること。
身体が健康で、心が穏やかで、社会的にも充実していているなら、健全と言えます。
そんな状態なら、ベストに近いベターな怒り方ができるんじゃないでしょうか。
そんなこと言っても、日々の生活でいっぱいいっぱい。
そんなの理想論だよ。
なんてご意見が大多数でしょう。
しかし子どもにとっては、将来を左右する大事なことかもしれないんです。
下手に怒ってしまって、それがトラウマになる。
怒らなかったが故に、それが許されると思い大きくなっても繰り返す。
「忙しいから仕方ない」じゃないと思うんですよね。
かく言う僕自身も、怒ることが非常に下手です。
怒ることが怖いみたいなんですね。
怒って嫌われるのが怖いとかじゃなく、怒るという行為自体が怖いんです。
他者が怒るのも、自分が怒るのも怖いんです。
それ故に息子がワガママが過ぎた時、怒ることを躊躇ってしまいます。
これは僕自身が、健全とは言えない状態です。
なんとかして整えていかなきゃいけないんです。
子育てって、素晴らしい。
子どもの成長を見ていられるのもステキ。
子どもを通して、自分自身をよく見つめることができますから。